1993年に私の人生は変わりました!!
1993年に高校を卒業しました。
プロレスラーを目指していた私は進路を迷っていました。
高校の1学年上の先輩で現プロレスラーの佐藤竜騎士さんがその頃リングスで練習生をしていたのです。
あんな田舎にそれも一つ上の先輩にプロレスラーがいるなんて凄いことなんですが・・・
身長が足りなかった!!
その佐藤さんに相談したところ
「身長が足りなくても入門テストを受けてみれば」
とアドバイスしてくれたのです。
しかし・・・
船木一派が・・・
私はプロレスでもUWFスタイルが好きでした。
その中でも船木選手やシャムロック選手が好きだったので藤原組に興味を持っていたのです。
しかし、高校卒業間近に船木、鈴木の両エースが抜けてしまったのです。
卒業した時にはまだパンクラスはできていませんでした。
とりあえず東京に出るために専門学校に入学しました。
さあー問題は船木一派の団体がないわけですから入門もできません。
そこでテストを受けるまで格闘技を習おうと思ったのです。
そして)・・・
シューティングか骨法か?
その頃、格闘技といえばUWF系のプロレス、佐山聡のシューティング、そして骨法しかありませんでした。
UWF系はアマチュアに門戸を開いていなかったので無理です。
残すはシューティングと骨法でした。
専門学校は板橋区にありました。
調べたところ、シューティングは都内にはなく通うのであれば神奈川か千葉でした。
骨法は東中野にあったので通うことは可能です。
散々迷った挙句、シューティングに決めたのです。
シューティングに決めた要因はシューティングに関節技の鬼がいたからなんです。
その頃、関節技の鬼といえば藤原喜明でした。
シューティングに関節技の鬼?
それがどうしても見たかったのです。
それが師匠でもある朝日さんです。
ジムまでは2時間かかりましたが距離より情熱が勝りました。
その時は・・・
![](https://i0.wp.com/checkmattokyo.com/wp-content/uploads/2022/11/img_0960-1.jpg?resize=313%2C417&ssl=1)
1993年の衝撃
しかし、距離と厳しい練習のため半年もしないうちに足が遠のいてしまったのです。
そんな時、衝撃的な試合を見ました!!
それが第1回のUFCです。
これを見てもう一度真剣に格闘技をやろうと決め、専門学校を辞め、道場のそばに引っ越しました。
人生決定!!
そしてプロになり3年後にブラジルに修行に行ったのです。
今思えば1993年に私の人生はほぼ決まりました。
UFCを見なければ格闘技を辞めていたかもしれませんし、柔術を仕事にしていなかったはずだからです。
あなたも岐路に立つ年があるかもしれません。
そんな時は情熱がある方に行ってください。
楽しいことが待ってるはずです。