人生の選択は悔いなく楽しく

97年に初めてブラジルにいった。

実はブラジル修行以外にも2つの選択肢があった。

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一つ目の選択肢

本当はアメリカに留学しようと思っていた。

95年の修斗のデビュー戦の相手はUSA修斗のジョナサンユーセビオだった。

その縁で96年にジョナサンの師匠である中村頼永先生ヒーガンマシャードのアカデミーを紹介していただきアメリカで2週間トレーニングをした。

中村先生には大変お世話になりながら結局はブラジルに行ってしまい申し訳ないと思っている。

ヒーガンのアカデミーでは日系人の友達もできたし当時18歳くらいでフェルナンドバスコンセロスというグレイシーバッハから来ていた激強の黒帯もいた。

なんといってもヒーガンの技術はすごかった。

留学先としては申し分なかった。

来年からお世話になろうと思っていたのだが・・・

二つ目の選択

私がアメリカに行くちょっと前に修斗の同期佐藤ルミナ、巽宇宙、秋本仁の3人がブラジルのカーウソングレイシーに練習に行った。

私も誘われたがアメリカに行くと決まっていたので断った。

もしアメリカの話がなければ一緒に行っていた。

そしてカーウソンに留学していたかもしれない。

その頃の私の憧れの選手はアマウリビテッチ。

だから行きたかったのだけどブラジル留学は正直治安が悪く怖かったので考えられなかった。

もし修行先に選んでいたら今とは正反対のスタイルになっていただろう!!

なぜ?

そして私はサンパウロに修行先を選択をした。

なぜアメリカに行かなかったか?

それは友人に留学することを話したら

そのうちブラジルに行きたくなるんじゃないの?

と言われ

確かにそうだよな!!本場のブラジルに興味はあったしレベルも高いはずだと思い考え直したからだ。

治安が悪いのは怖かったけど興味が上回った。

面白い

違う選択をしていたらと思うと想像しただけで面白い。

もしヒーガンの元で修行していたら

今ごろマシャード柔術東京になっていただろうし、英語もペラペラ?だったかも

そしてもっと垢抜けていたかも知れない。

カーウソングレイシーに行っていたら今ごろブラジリアントップチーム東京アメリカントップチーム東京、またはカーウソングレイシー東京になっていたかも知れない。

MMAも続けていたと思う。

今の人生とは大きく変わっていただろう。

悔いのない選択

でもサンパウロ修行を選択してよかったと思っている。

最善の選択かどうだったかはわからないけど悔いはない。

多くの出会いや経験があった。

これからの人生も多くの選択があるだろう。

その時も悔いのない1番楽しいことを選ぼう!!


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